ナショナルメディアボーイズ

隠しているわけでもないのですが、積極的に開示したいわけでもないという、満島ひかりにおけるFolder 5時代くらいのエピソードだと受けとっていただきたいのですが、私はけっこうな田舎で育ちました。
私は父の仕事の都合で、小学5年生でけっこうな田舎から東京の23区内に引っ越してきました。199X年の4月頭、生まれて初めて新幹線に乗って東京に出てきて、東京駅で中央線に乗り換えて、車窓から見える景色がずーっと見たこともないクラスの都会だったので、これはえらいところに来てしまったものだと思いました。

当時小学生なので、けっこうな田舎と東京のドラスティックな差は、「住むところが変わったのだから生活が変わるのは当然」と思っていたのですが、大人になってそこそこ出張に出かけることの多い仕事をするようになり、「私が育ったのはけっこうな田舎だったんだ」と思うようになりました。10段階評価で1をもっとも田舎、10をもっとも都会とすると、たぶん2か3くらいの田舎だと思います。
実家から小学校まで子供の足で20分くらいなのですが、その道中、信号機が1つもありませんでした。離島なんかにお住まいの方がテレビで「子供に信号機というものの存在を教えるために、島内に1か所だけ必要ないけど信号機があるんですよ〜」と言っているのをときどき目にしますが、そういう風に信号機を知るのも、普段歩いたり自転車をこいだりするのに信号機を使わないのもどっこいどっこいな気がします。私としては必要がないのに教育的配慮で信号機が設置されているほうが田舎だと思いますが、たぶん都会の方から見たら「国生さゆりが、新田恵利のテレホンカードより自分のテレホンカードのほうが高値がついていると知って喜んでいた」みたいな話だと思います。
あと、前に東京出身の方に言ってドン退きされたのであまり言わないほうが良いのかもしれませんが実家はくみとり式のトイレでした。落ちたことはないですが、人生で2回、片足がはまってスリッパを犠牲にしたことがあります。バキュームカーのホースがスリッパで詰まったりしなかったのかしら。くみとり式トイレで育ったので、今東京で目にするトイレは基本的に全部衛生的できれいなトイレに見えるという利点があります。
彼氏と千葉県の郊外の方に旅行に行ったとき、彼氏が民家の住所プレートか何かを見て、「5ケタの番地初めて見た。5ケタってなくない?」と言っていました。実家の番地は5ケタでした。確かに東京で5ケタの番地見ないですね。彼氏の目には数百階建てのマンションに住んでいる人みたいに見えるのでしょうか。

実家の近くには、子供向けのアミューズメントがまったくありませんでした。公園も、図書館も、駄菓子屋も、コンビニも、本屋や古本屋も、子供の行動圏内にはありませんでした。
公園、なかったんですよね。遊具は小学校の校庭にあるだけでした。図書館も車で15分くらい走ったところにある市役所の近くにしかなくて、月1回?くらい、本を積んだ移動図書館(たぶん都会にお住まいの方がご存じない概念)が近くの公民館まで来ていました。駄菓子屋もなくて、手に入るお菓子はスーパーのお菓子売り場に並んでいるものだけでした。今でこそいわゆる駄菓子もけっこうスーパーに並んでいますが、その当時スーパーで買える駄菓子はうまい棒チロルチョコとマルカワのガムくらいだったような記憶があります。コンビニや本屋も、親や祖父母に車に乗せてもらって連れていかれるところでした。

子供向けのアミューズメントが家の近くになく、そもそも家の配置もまばらなので地区内に遊び相手になる友達もおらず、小学4年生になるまでテレビゲームも買ってもらえなかったので、家にいるときはテレビばかり見ていました。
私の実家のある県は、ふつうに見られるテレビ局の数が日本一多い県なんですよね。NHK総合Eテレ(私はヤングなので『NHK教育』とは言いません)、日テレ系、TBS系、フジ系、テレ朝系、テレ東系(このアナログ放送時代のチャンネル番号にもとづいたテレビ局の並べかたはヤングじゃないかもしれません)に加えて、それらとは別に県のローカル局がありました。MXが開局するまで、東京よりもテレビ局の数が多かったはずです。
それで、何を熱心に見ていたかというと、正確な年までは覚えていないのですが、1990年代初頭、毎日(たぶん)夕方ごろにやっていた(はずの)「シティーハンター」「シティーハンター2」「シティーハンター3」「シティーハンター '91」の再放送を見ていました。「シティーハンター」の本放送は1987年〜1988年だそうなので、1987年から1991年までの4年くらいかけて放映されたものを、毎日見られるというぜいたくな環境でした。みなさんご存じの通り、「シティーハンター」のエンディングテーマがTM NETWORKの「Get Wild」、「シティーハンター2」のエンディングテーマがTM NETWORKの「STILL LOVE HER(失われた風景)」、「シティーハンター3」のオープニングテーマが小室哲哉の「RUNNING TO HORIZON」で、小室哲哉の洗礼をこのときに浴び、今に至っています。初めて買ってもらったCDが「シティーハンター ドラマティックマスター」という主題歌・挿入歌を集めた企画アルバムで、初めておこづかいで買ったCDはTMNのシングル「WILD HEAVEN」でした。「WILD HEAVEN」の発売が1991年の11月だそうなので、さきの再放送が「1990年代初頭」という記憶と合致しそうです。その当時の小室哲哉は本当にかっこよかったです。1990年代半ば〜後半のTKブームで小室哲哉を知った方は、TM NETWORKを聴いていない方も多いと思いますが、TM NETWORKの「TIME TO COUNT DOWN」のイントロだけでも聴いてみてください。ドヤ顔でシンセサイザーのツマミをクリクリしたりしない小室さんはほんとうにかっこいいです。

https://www.youtube.com/watch?v=9IQwqb3ryAA

あとは今思うと何が魅力だったのか自分でもよくわからないのですが、逸見政孝さんの出ている番組をものすごい頻度で見ていた気がします。が、Wikipediaを見るとたぶん「クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!」と「たけし・逸見の平成教育委員会」くらいしか見てないっぽいです。こうして記憶というのは捏ねられるんですね。逸見さんは1993年末に亡くなっているので、今の若い方はご存じないと思いますが、元局アナがゴールデンタイムの番組の司会をガンガン務めているという、今のフリーアナウンサーの活躍とはひと味違う活躍のしかただったように思います。

その後、小学4年生のときにスーパーファミコンを買ってもらって、小学5年生で東京に引っ越して、自分をとりまく環境も自分自身もコペルニクス的転回(一度言ってみたかったワード)をみせるのですが、それは別稿に譲りたい(一度言ってみたかったワード)と思います。